メッセージ牧師・司祭からのメッセージ |
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親愛なるみなさま 2003年のはじめ以来ずっと戦争をしている国に住んでいるというのは私たちにとってはなじみのない話ですが、その国はあたかも来るべき時を待っているかのように思われます。 私たちが争うとき、自分たちにとっての正義や不正のために、またはほかの人にとっての正義や不正のために争うのであり、またその争いの多くは最終手段としての選択です。ひとつの紛争において異なる陣営に立つ人たちは、自分たちの戦う理由は正当なもので、賛美に値しさえするものであるとそれぞれに同じだけ信じています。 どんな形をとって実行されようとも、暴力は人生を破壊します。人々は苦しみ、武力紛争の爪あとは何年も何十年もその土地から消えることはありません。物質的には回復したとしても、紛争に巻き込まれた人たちのこころと生活からその記憶が消え去ることはありません。イラク、スーダン、アフガニスタン、パキスタンにおいて、苦しみの記憶と物語とともに生き続けることは本当に恐ろしいことです。もっと近いところでは北アイルランド、そして私自身のふるさとである、南アフリカがあります。 なぜこれらの場所が特別なのでしょうか。これらの場所には共通するひとつの糸があります。
はじめてのクリスマスに、天使たちがひつじかいたちにむけて歌った歌は、すべての人々のあいだの平和と神の御心の実現をうたったものでした。神は和解のメッセージとともに、また、癒しと友好のメッセージとともに人間の中へ降り立ったのです。これは神のもっとも大きな願いです。神の名によって暴力をはたらく者はみな、このことに照らして判定されなければなりません。人類の歴史は、そういう暴力がどれほどまちがったことであるかを私たちに教えてくれています。 私たちの住む世界は平和をつくる者を必要としています。寛容を説く政治家や外交官ではなく、私たちがお互いを知ること、互いに尊敬しあうこと、互いに命をあたえあうことの手助けをする人たちです。イエスさまははっきりと、クリスチャンの信仰において、私たちがこの役割を果たすのだと語られています。クリスマスを祝うとき、自分たちの祝い方に夢中になってこれらのことを無視してしまってはなりません。私たちのそれぞれが、何を神だと信じようとも、このチャレンジは変わりません。ともにはたらきましょう。 ローリー |